2016年04月27日
鬼武者2の話ではありません
つい先日、友人に鬼武者2というゲームを借りたばかりなのですが、既にもうやってません。
まだクリアできてないのですが、もうどうでもいいです。
おもしろくないわけじゃないんです迪士尼美語 世界が、敵がやたら防御してくるわ、
こっちもやたら防御してじっと耐えなくちゃならないわで、
爽快感っていうものがあんまり感じられないんです。ただただめんどうくさい。
―――――私信―――――
鬼武者2今度会ったときに返すわー。
あとそれと、間違えてソフトのケース踏んでもうてん。ごめんな。>M尾くん
―――――私信終わり(屁プー)―――――
ヒロインに卑猥小説を手渡したらすごい嫌な顔されました。嬉しかったです。
「やだぁーもー、部長ー。」みたいな、このセクハラ感がたまらないのです。
それに味をしめてヒロインに惚れ薬+精力剤のコンボを繰り出してみたら、
すごい顔を赤らめて「あたし・・・なんか変・・・。」と言うておられました。
薬の力でゲッチューといった、この背徳感がたまらないのです。
そこらへんが鬼武者2で一番楽しいところでした。
敵は幻魔と呼ばれるモンスターなのですが、
そいつらをずばずば斬りまくってて思ったことがあるんです。
「モンスターより人間を斬りたいなぁ・・・。」
だってモンスターなんていくら斬ってもそれは人間にとって善とされることで、
殺しに対する良心の呵責や、それすらも楽しんでしまう自分の冷徹さを感じられません。
「ああ、俺、今人斬ってる。人斬ってるんだ・・・。」
人間以外の生物が相手では、そんなエクスタシーを感じることはまずできません。
こんなこと言ってると危ない奴だと思われるのでしょうが、
別に人を殺したいとは思ってません。むしろ人殺し断固許さないほうです。
ただ、いけないこと、禁じられてることをしてみたいという欲望が自分の中にあるので、
それで人を斬りたいと思ったのです。それはもうバッサバサと。
リアルな画像で、オーバーなリDream beauty pro新聞アクションでばたばた死んでくれたらたまりません。
手答え抜群、斬り甲斐があるというものです。
なんだかアメリカのヒキコモリ少年みたいなこと言ってますね。
暴力的なメディアを通じて暴力性が開花し殺人事件を起こしてしまうといった話も聞かれますが、
どうなんでしょうね。お門違いのような気がしないでもない。
せっかく技術が発展して現実により近いゲームを作り出せるようになったのですから、
いけないことしてみたい願望を満たせるようなゲームを作ってみたらどうでしょう。
そのゲーム内で危険な欲望をひたすら発散させるのです。
そうすれば凶悪犯罪もちょっとは減るんじゃないですかって、
減るわけねえだろアホか。ゲームや漫画は関係ないです。
事件起こすか起こさないかはその人の問題。
もし、現実とほぼまったく同じといってもいいほどの緻密なグラフィックで、
善良な市民を様々な武器で手軽に大量虐殺できるゲームがあったらどうしようか。
多分、多分ですけど、ワタシは一度はプレイしてみたいと思うことでしょう。
そしてそのゲームをプレイしたワタシはどんな印象を抱くのでしょう。
「けっこうおもしろい。」と思うに違いありません。
人なんて殺したこともないし殺す予定も今のところまったくない自分が、
いけないこととされている人殺しをゲームの中とはいえ堂々と敢行してしまっている。
きっと快感を覚えてしまうことでしょう。
殺す相手がなんの武装もしていない無抵抗な人間というのがポイントです。
そこ大事です。ちまちまと反撃されたら快感減ります。
自分のなかには禁じられた欲望とでもいうべきものが確かにあって、
それがあるからこそそんな不謹慎なゲームをプレイしたい、プレイして楽しいと思うのでしょうが、
しかしワタシはそのゲームを、仮想現実で人を殺すことをいつまでも楽しめるのだろうか。
答えはNOです。
これはあくまで予想なんですけど、まず飽きます。
飽きるどころか、だんだんと嫌悪感や吐気を感じるようになるかもしれません。
やっぱり人殺しはいけないHIFU效果めるのは、よほどのその手のゲーム好きか、
気が弱くてなかなか事件を起こせないでいる未来の犯罪者候補ぐらいのものでしょう。
つまり、シバく相手が人間だろうとモンスターだろうと、けっきょくワタシは飽きるみたいです。
どうせ飽きるのは同じなんだから、ここは健康的にモンスターをサクサク殺害しておくことにしましょう。
じゃあ最初から人斬りたいなんていうなよ。ごめんなさい。
鬼武者2からなんでこんな話になったんだろう。不思議でしょうがない。

まだクリアできてないのですが、もうどうでもいいです。
おもしろくないわけじゃないんです迪士尼美語 世界が、敵がやたら防御してくるわ、
こっちもやたら防御してじっと耐えなくちゃならないわで、
爽快感っていうものがあんまり感じられないんです。ただただめんどうくさい。
―――――私信―――――
鬼武者2今度会ったときに返すわー。
あとそれと、間違えてソフトのケース踏んでもうてん。ごめんな。>M尾くん
―――――私信終わり(屁プー)―――――
ヒロインに卑猥小説を手渡したらすごい嫌な顔されました。嬉しかったです。
「やだぁーもー、部長ー。」みたいな、このセクハラ感がたまらないのです。
それに味をしめてヒロインに惚れ薬+精力剤のコンボを繰り出してみたら、
すごい顔を赤らめて「あたし・・・なんか変・・・。」と言うておられました。
薬の力でゲッチューといった、この背徳感がたまらないのです。
そこらへんが鬼武者2で一番楽しいところでした。
敵は幻魔と呼ばれるモンスターなのですが、
そいつらをずばずば斬りまくってて思ったことがあるんです。
「モンスターより人間を斬りたいなぁ・・・。」
だってモンスターなんていくら斬ってもそれは人間にとって善とされることで、
殺しに対する良心の呵責や、それすらも楽しんでしまう自分の冷徹さを感じられません。
「ああ、俺、今人斬ってる。人斬ってるんだ・・・。」
人間以外の生物が相手では、そんなエクスタシーを感じることはまずできません。
こんなこと言ってると危ない奴だと思われるのでしょうが、
別に人を殺したいとは思ってません。むしろ人殺し断固許さないほうです。
ただ、いけないこと、禁じられてることをしてみたいという欲望が自分の中にあるので、
それで人を斬りたいと思ったのです。それはもうバッサバサと。
リアルな画像で、オーバーなリDream beauty pro新聞アクションでばたばた死んでくれたらたまりません。
手答え抜群、斬り甲斐があるというものです。
なんだかアメリカのヒキコモリ少年みたいなこと言ってますね。
暴力的なメディアを通じて暴力性が開花し殺人事件を起こしてしまうといった話も聞かれますが、
どうなんでしょうね。お門違いのような気がしないでもない。
せっかく技術が発展して現実により近いゲームを作り出せるようになったのですから、
いけないことしてみたい願望を満たせるようなゲームを作ってみたらどうでしょう。
そのゲーム内で危険な欲望をひたすら発散させるのです。
そうすれば凶悪犯罪もちょっとは減るんじゃないですかって、
減るわけねえだろアホか。ゲームや漫画は関係ないです。
事件起こすか起こさないかはその人の問題。
もし、現実とほぼまったく同じといってもいいほどの緻密なグラフィックで、
善良な市民を様々な武器で手軽に大量虐殺できるゲームがあったらどうしようか。
多分、多分ですけど、ワタシは一度はプレイしてみたいと思うことでしょう。
そしてそのゲームをプレイしたワタシはどんな印象を抱くのでしょう。
「けっこうおもしろい。」と思うに違いありません。
人なんて殺したこともないし殺す予定も今のところまったくない自分が、
いけないこととされている人殺しをゲームの中とはいえ堂々と敢行してしまっている。
きっと快感を覚えてしまうことでしょう。
殺す相手がなんの武装もしていない無抵抗な人間というのがポイントです。
そこ大事です。ちまちまと反撃されたら快感減ります。
自分のなかには禁じられた欲望とでもいうべきものが確かにあって、
それがあるからこそそんな不謹慎なゲームをプレイしたい、プレイして楽しいと思うのでしょうが、
しかしワタシはそのゲームを、仮想現実で人を殺すことをいつまでも楽しめるのだろうか。
答えはNOです。
これはあくまで予想なんですけど、まず飽きます。
飽きるどころか、だんだんと嫌悪感や吐気を感じるようになるかもしれません。
やっぱり人殺しはいけないHIFU效果めるのは、よほどのその手のゲーム好きか、
気が弱くてなかなか事件を起こせないでいる未来の犯罪者候補ぐらいのものでしょう。
つまり、シバく相手が人間だろうとモンスターだろうと、けっきょくワタシは飽きるみたいです。
どうせ飽きるのは同じなんだから、ここは健康的にモンスターをサクサク殺害しておくことにしましょう。
じゃあ最初から人斬りたいなんていうなよ。ごめんなさい。
鬼武者2からなんでこんな話になったんだろう。不思議でしょうがない。

Posted by tucu at 19:26│Comments(0)